日本キリスト教団 鈴鹿教会 命の言葉

「命の言葉」は牧師からのメッセージです。

今年の「命の言葉」を読む
2014年「命の言葉」
 2012年「命の言葉」



2013年11月17日 日本キリスト教団信仰告白(96)

問132.天に昇られてのも、主は常にわたしたちと共にいてくださるのですか。

答.はい、主は死に勝利して天に昇られたことによって、以前にも増してわたしたちの
 そば近くにおられるようになりました。主の方からは、いつでもわたしたちに近づき、
 共の交わり、平安と慰めと時宜を得た助けを与えることがおできになります。しかし、
 わたしたちの方から主に近づくことは、祈りにおいてのみ可能です。

「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事
につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさ
い。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう」                 (フィリ4:5〜7)

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける
者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事
をするであろう」                                     (黙3:20)

「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。
わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」     (ヨハ14:19)
2013年11月10日 日本キリスト教団信仰告白(95)

問131.「天にのぼられました」はどのように理解しますか。

答.復活されたキリストが40日の間弟子たちに現れ、彼らに世界伝道への使命を託され
  た後、父なる神の御許、すなわち、もはやわたしたちの方からは近づき得ない神の
  神秘の領域に昇り行き、再臨の時までそこに留まっておられるということです。
  キリストが天に昇られたことによって、わたしたちは、地上のものにのみ心奪われる
  のではなく、絶えず心を高くされ、キリストの再臨を切に待ち望む希望を与えられます。

「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たち
に示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(使1:3)
「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた」(使1:9)
「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」(マコ16:19)
「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。
そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上
のものに心を引かれないようにしなさい」(コロ3:1〜2)
2013年11月3日 日本キリスト教団信仰告白(94)

問130.キリストの復活をどのように理解しますか。

答.キリストは墓の中で朽ち果てたのではなく、むしろその従順の御業によって義とされ、
  三日目に、単に霊においてだけでなく、体において―但し、もはや肉体の束縛から
  は解放された、「霊の体」(Tコリ15:44)において―甦らされ、弟子たちの前に現れ
  たということです。
  キリストの復活は、同時に彼の義認でもありますにで、彼は御自身のあふれるばかり
  の義を、彼を信じる者に分け与えることができます。更に、キリストの復活は彼を信ず
  る者自身の復活の確かな保証となり、希望となります。

※聖書参考箇所 (使2:31)(ルカ24:34)(Tコリ15:3〜4)
  (Tコリ15:6)(ロマ4:25)(Tコリ15:20〜21)
2013年10月20日 日本キリスト教団信仰告白(93)

問128.「葬られ」は何を意味しますか。

答.イエス・キリストの十字架の死が、仮死状態ではなく、真正な死であり、一定の
  期間、墓に納められた事を意味します。

「イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め・・・」
                                           (マコ15:46)

問129.「よみにくだり」は何を意味していますか。

答.陰府の世界は、旧約ではおおむね、光が届かず、運動も感覚もなく、神を讃美する
  こともできず、その御支配も及ばないところとされていました。キリストが陰府にまで
  下られたことは、キリストが陰府の力にも勝利され、もはや陰府のような領域がどこ
  にも存在しなくなったことを意味します。そのことによって、わたしたちはいかなる苦
  しみや艱難や「死の陰の谷」のような絶望的状況においても、なおそこにキリストが
  共にいてくださることを確信することができます。

「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいて
くださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける」      (詩23:4)
「陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます」(詩139:8)

※他聖書参考箇所(詩6:6) (Tコリ15:54〜55)
2013年10月13日 日本キリスト教団信仰告白(92)

問127.「ポンテオ・ピラトのもとで」という言葉は、なぜあるのですか。

答. 主はユダヤ人の怨恨や私刑によってではなく、神によって正当に立てられた
  裁判官の裁きによって死に渡された、ということをはっきりさせるためです。
  ピラトはイエスが無罪であることを証言しながら、彼に有罪判決を下しました。
  それによって、イエスは無罪でありことが明らかにされ、同時に、わたしたち
  自身への有罪判決が、ピラトの口を通して下されたのです。

「イエスは答えられた。『「神から与えられていなければ、わたしに対して何の
権限もないはずだ』」                           (ヨハ19:11)
「わたしはこの男に罪を見いだせない」(ヨハ19:6)
「ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、
すなわち『敷石』という場所で、裁判の席に着かせた」         (ヨハ19:13)
「そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した」(ヨハ19:16)
2013年10月6日 日本キリスト教団信仰告白(91)

問126.キリストがわたしたちの罪を負って死なれたのなら、わたしたちにとって
     死とは何ですか。

答. 死はわたしたちの罪によって被造世界に侵入した最大の悪です。しかし、キリスト
  は死によって死を滅ぼし、わたしたちのために復活の命を獲得されました。
  それゆえ、わたしたちはもはや、死ぬことによって自分の罪を自分で償う必要は
  ありません。わたしたちの肉体の死は、むしろ、善そのものである永遠の命へと
  至る通路となったのです。

「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」
                                       (ヘブ9:27)

「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけ
ではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます」
                                     (Tコリ15:51)

「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)

「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と」(黙14:13)
2013年9月29日 日本キリスト教団信仰告白(90)

問125.「呪いの死」とは何のことですか。

答. 神に呪われ、神から捨てられた者の死です。キリストの十字架の死は、そのよう
  なものとして、すべての人が味わう通常の死ではなく、まさに空前絶後の死です。
  私たち信仰に生きる者には、キリストの死によって、もはや同じ「呪いの死」は
  あり得ません。このことはキリストの贖いの信じる者にとって、死はもはや根本
  的な意味では少しも恐怖ではなくなった、ということです。

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから
贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われてい』と書いてある
からです」                                  (ガラ3:13)

「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、
『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」
                                         (マコ15:34)

「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストに
よってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」      (Tコリ15:56〜57)

「それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐
怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」
                                      (ヘブ2:14〜15)
2013年9月22日 日本キリスト教団信仰告白(89)

問123.「使徒信条」は生誕から一気に十字架に飛んでいますが、それなぜですか。

答. 父なる神の御許を去って地上を歩まれた主の御生涯のすべてが、「苦しみを受け」
  の一句で表現され得、また、苦しみを受けるための御生涯だったからです。
  もちろん、他の三十年の御生涯が全く無くても良かった、というわけではありません。
  ただ、使徒信条はわたしたちの救いにとって極めて重要なことだけを、簡潔に述べ
  ています。

問124.「苦しみを受け」は、どのように理解しますか。

答. 主の苦しみは人間が通常味わうあらゆる肉体的・精神的苦痛をはるかに越えてい
  ました。なぜならそれは、わたしたちを極みまで愛し、わたしたち罪人の立場に
  立って、父なる神の永遠の怒りと裁きを一身に受け、罪の刑罰としての「呪いの
  死」を死なれたことだったからです。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハ15:13)

「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる
弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハ13:1)

「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったの
に/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでい
るのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち
砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/
わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」
                                         (イザ53:4〜5)
2013年9月15日 This is the first day of the rest of your life.

今日という日は、あなたの残された人生の第一日目である。

 〜スコットランドのアイオナ聖堂入り口に〜

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  最上のわざ

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気一杯で神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、
もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつ
はずしていくのは、真にえらい仕事。こうして何もできなくなれば、
それを承諾するのだ。

神は最後にいちばん良い仕事を残して下さる。
それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、我が友よ、我、汝を見捨てじ。」と。

                            ホイヴェルス随想選集
                            「人生の秋に」の「年をとるすべ」より
2013年9月8日 日本キリスト教団信仰告白(88)

問122.イエス・キリスの処女降誕については、どのように信じますか。

答.「主は聖霊によってやどり」とは、永遠の神であられる主が、あくまでも罪人なる
  人間の意志と主導性ではなく、ひとえに聖霊なる神の御意志と主導性によって、
  受肉して人となられたことを意味します。神はこれによって、それまでの人類の
  ひたすら堕落へと向かう歴史を停止させ、救いへと向かう歴史へと転換させた
  のです。
  次に、「おとめマリアから生まれ」とは、主が一人のユダヤ人として、ダビデの子孫
  となり、ヨセフ家の長男として、罪を他にしてはわたしたちと全く同じ一人の人間
  となるためにガリラヤの一処女の胎から肉体を取ってお生まれになったことを
  意味します。このことは主が聖霊によって宿られたことのしるしです。

「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者として
お遣わしになりました」                            (ガラ4:4)
「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」(マタ1:20)
2013年9月1日 日本キリスト教団信仰告白(87)

問120.「仲介者」を説明してください。
答.イエス・キリストは、その贖いの御業のよって、「恵みの契約」を回復されました。
  このような働きを、契約の「仲介者(仲保者)」、または「保証人」の働きと言います。
  キリストはそのようにして、神がわたしたち人間に、また、わたしたち人間が神に、
  再び近づくことができるようにしてくださったのです。
  ※聖書参照箇所(ヨブ17:3)(ヘブ9:15)(Tテモ2:5)

問121.キリストは仲介者として、地上でどのような役割を果たされたのですか。
答. 仲介者キリストの働きは、一般に次の三つの観点から説明されます。
  すなわち、彼はわたしたちの憐れみ深い「大祭司」であり、まことの「王」であり、
  真実な「預言者」です。まず、神であるキリストが御自身をへりくだらせて人間となり、
  御自分を犠牲の供え物として神に献げてくださった働きを、キリストの「祭司職」と
  言います。これによって、神は人間の神となってくださいました。次に、キリストが
  神の僕となり、すべての人間の代理人として、死にいたるまで神に従順な者となって
  律法の要求を完全に満たしてくださったことのゆえに、神は彼を義とし、高く引き上げ
  られました。キリストはわたしたちをも信仰によって義とし、神の民、教会の肢とされ
  ます。これをキリストの「王職」と言います。最後に、キリストは御自身が神であり、
  人であることを死をもって証しされ、わたしたちの信仰の証人、また教師となられま
  した。これをキリストの「預言者職」と言います。
※聖書参照箇所 (ヘブ4:15〜16)(ルカ23:34)(ヘブ9:11〜12)(フィリ2:6〜9)(Tコリ3:11)
 (マコ1:14〜15)(ヨハ18:37)(マコ14:62)
2013年8月25日  8/18鈴鹿教会礼拝は濱崎重夫長老が御用され、感謝致します。滝口牧師は
家庭集会33年で、3年前に会堂を献堂された教会で礼拝を守りました。
礼拝出席者は60名くらいで会堂いっぱいでした。その教会で「主の家を建てん」
という賛美を毎礼拝にささげており、心に残りましたので記します。

1.キリストの愛せまりきて  この町に十字架かかげん
  貧しく弱き我らにこそ  キリストの愛ふくらめり
  いざや共に主を仰ぎ  祈りと賛美の家を建てん

2.キリストの平和知らされて  この町に安らぎ祈る
  共に歩む我らにこそ  キリストの平和おとずれん
  いざや共に主を仰ぎ  祈りと賛美の家を建てん

3.キリストの霊寄り添いて  この町に御言葉を告げん
  集いに祈れる我らにこそ  キリストの霊とどまれり
  いざや共に主を仰ぎ  祈りと賛美の家を建てん
2013年8月18日 <レンタイン・ヂェスーザーのことば>

 人間の優しさは強さです。自分の我を棄てて、自分に敵対する人、自分を利用する
人にも、愛をもって優しく接し続けるようにしましょう。たとえその優しさが、人びとに
利用されたとしても、その生き方を貫きたいもの。いつかあなたの美しい心を相手
が悟った時、相手は心底から変わっていきます。あなたの生き方によって、誰かの
役に立つ事ができるのです。・・・・・人をゆるす事は、まず自分の狭い心と小ささを
認め、さらに祈る事によって、また神さまの恵みによってできるのです。人間の力で
はできません。
2013年8月11日 日本キリスト教団信仰告白(86)


問118.第二の部分で、子なる神、イエス・キリストについては、どのように告白し
    ていますか。
答.「わたしはのそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は
  聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンテ・ピラトのもとで苦しみ
  を受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のう
  ちからよみがえり、天にのぼられました。そして、全能の父である神の右に坐
  しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれ
  ます」と告白しています。

問119.独り子なる神は、なぜ人となられたのですか。
答.すべての人の罪のゆえの永遠の怒りと裁きの重荷を自ら負い、それを取り除
  かれるためです。神の義は罪を犯した人間が自ら罪を償うことを求めておら
  れますが、人間は自分では神の前に完全な義を行うことができないだけでは
  なく、その永遠の怒りと裁きの重荷に耐える力も持っていないからです。
  それゆえ、憐れみに富み給う神御自身が人となられました。このようにして、
  御子は神とわたしたち人間との間の失われた交わりを回復する「仲介者」
  (仲保者)となられました。

「神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない」(詩49:8)
「しかし、神はわたしの魂を贖い/陰府の手から取り上げてくださる」(詩49:16)
「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさ
いました」                                     (ロマ3:25)
「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、
『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」
                                         (マコ15:34)
2013年8月4日 日本キリスト教団信仰告白(85)

問117.神は義をもってこの世界を支配しておられる、と信じてよいのですか。

答. その通りです。なぜなら、神は御子イエス・キリストの十字架の死において、
  御自身の義を決定的に成就されたからです。従って、神はまた、義をもって
  この世界を統治し、終わりの日に義しく裁かれるお方であると信じます。
  たとい神がわたしたちの目に不義であると思える場合でも、人間は善悪の
  基準を持っていないだけでなく、神のなさることを初めから終わりまで見届け
  ることもできず、その意図も悟れない者であり、神の善悪を判断する立場に
  は全くないことを認めるべきでありましょう。
  なお、神がこの世界を義をもって支配しておられるので、わたしたちは人間
  としての限界を謙虚に認めながら、正義や、平和や、自由を追い求めること
  ができるのです。

「このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が
正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです」
                                         (ロマ3:26)
「人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです」
                                     (ロマ3:4)
「あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません」(詩51:6)
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う
思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで
見きわめることはできない」(伝道3:11、口語訳)

※他聖書参照箇所(ヨブ42:3) (イザ40:27)
 2013年7月28日 日本キリスト教団信仰告白(84)

問116.神は憐れみをもってこの世界を支配しておられる、と信じてもよいのですか。

答. その通りです。なぜなら、神は御子イエス・キリストにおいて、御自身の憐れみ
  が完全であることを啓示してくださったからです。従ってわたしたちは、神の
  摂理が、世界の歴史を善へと導いていることを信じ、いかなる被造物もわたした
  ちをキリストの愛から引き離すことはできないと確信し、この悩み多い地上の
  人生をも、明日のことを思い煩わず、順境にあっては感謝し、逆境にあっては
  耐え忍び、将来に対しては常に希望を抱いて生きることができるのです。

「しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛
によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし・・・」
                                     (エフェ2:4〜5)

「主は憐れみ深く、恵みに富み/忍耐強く、慈しみは大きい」(詩103:8)

※他聖書参照箇所 (出34:6) (イザ40:31)(マタ6:34)(ルカ12:6〜7) (ロマ8:38〜39)
 2013年7月21日 日本キリスト教団信仰告白(83)

問115.摂理とは何ですか。

答.今働く、全知全能の神の御支配です。わたしたちはこの御支配を信じることに
  よって、神が私たちの恵み深い父であられ、わたしたちは善きものも悪しきも
  のも、幸福も不幸も、富も貧しさも、健康も病も、自分自身の死や愛する者の
  死すらも―つまり、すべてのものを―この慈しみと憐れみに富む父なる神から
  頂くことができるようになるのです。なぜなら、神は全能であられるゆえに、
  すべての悪しきものは完全に神の御支配の下にありますから、それらが働く
  ことが許されている範囲も、働きの程度や強さも、期間も、すべては神の全能
  の御意志によって界づけられています。また、神は全知であられるゆえに、
  一見わたしたちから見て悪であるものも、神の配剤と摂理の中で善に変える
  知恵と力とをお持ちであられ、また、必ずそうしてくださるからです。

※聖書参照箇所 (創50:20) (ヨブ1:12)(ヨブ38:10〜11) (箴19:21) (箴119:75)
           (ロマ8:28) (ロマ2:4) (Tコリ10:13)(Uコリ15:54〜55) (黙14:13)
 2013年7月14日 日本キリスト教団信仰告白(82)

問114.それでは、罪が犯された結果、神はもはや堕落した世界の支配者ではなくな
    られたのですか。

答. いいえ。神は依然として被造世界の恵みに満ちた支配者であられます。すなわち、
  全知全能の神は、今も被造世界をその最終目的に適うように導き、統治し、最初
  の目的であった「恵みの契約」を成就されます。これを神の「摂理」と呼びます。

「キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることにな
っているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます・・・すべてが御子に服
従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従され
ます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです」  (Tコリ15:25、26、28)
2013年7月7日 日本キリスト教団信仰告白(81)

問113.その結果、何が起こりましたか。

答. 罪がひとたび被造世界に入り込むと、罪はすべての人間を己の虜にしてしまい、
  己を再生産し、その結果、この被造世界に罪と悪と悲惨さが充満するようになり
  ました。

「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込ん
だように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」
                                         (ロマ5:12)

「わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは
罪のうちにあったのです」                           (詩51:7)

「罪が支払う報酬は死です」(ロマ6:23)
2013年6月30日 日本キリスト教団信仰告白(80)

問112.「初めの義」の喪失とは何ですか。

答. 神は恵みの契約を意志し、「神がわたしたちの神となり、わたしたちが神の民と
  なる」ことを願われました。神がこの契約のゆえに「わたしたちの神」であり続
  ける限り、神は義なるお方です。また人間も、この契約によって「神の民」であ
  り続ける限り、義です。人間は造られた限りにおいては、最初から罪人として造
  られたわけではなく、「初めの義」を持っていました。ところが、人間はこの恵
  みの契約を破り、神の戒めに背いて別の善悪の基準を自らの中に設け、それ
  に基づいて行動することによって、「初めの義」を喪失したのです。

「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、
決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創2:16〜17)

「蛇は女に言った。『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神の
ように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。』」(創3:4〜5)
2013年6月23日 日本キリスト教団信仰告白(79)

問111.全知全能の神が、すべての被造物をその最終目的に適うように善くお造りに
    なったのであれば、被造世界に罪や悪が存在するのはなぜですか。

答. 人間は元々、神のロボットとしてではなく、恵みの契約のパートナーとして造ら
  れていました。その意味では、堕落しうる存在として造られていました。そして
  人間は、不可解にも、神の完全な恵みの真っただ中で神の戒めを破り、「初め
  の義」を喪失し、神に背きました。かくして被造世界に罪が入り、人間は楽園から
  追放され、善く造られたこの世界に悪が侵入したのです。
  しかし、神はいかなる意味でも、罪や悪の創始者ではありません。ただ、神に善
  く造られた人間が、不可解にも、神の戒めに背き、自ら堕落して「初めの義」を
  喪失したのです。

「あなたは善なる方、すべてを善とする方」(詩119:68)

「神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさ
らないからです。むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、
誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」
                                        (ヤコ1:13〜15)

「主よ、恥を被るのはわたしたちであり、その王、指導者、父祖なのです。あなた
に対して罪を犯したのですから」                       (ダニ9:8)

※聖書参照箇所 (創3:17、19) (創3:16) (ロマ7:11、13)
 2013年6月16日 日本キリスト教団信仰告白(78)

問109. すべてのものが、天地創造の最終目的である恵みの契約の成就のために、
    善く造られていると、考えてよいのですか。

答. その通りです。神は全てのものを恵みの契約の成就のために、善くお造りに
  なりました。また、被造物世界全体を、考ええられ得る最善のものとしてお造り
  になりました。

「神は光を見て、良しとされた」(創1:4)
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」
                                             (創1:31)
「神は彼らを祝福して言われた」(創1:28)
「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、
何一つ捨てるものはないからです」                  (Tテモ4:4)

問110.神の全知全能を信じるとは、どういう意味ですか。

答. 個々の被造物をも、被造物全体をも、その最終目的である恵みの契約の成就の
  ために御言葉によってお造りになられたお方は、すべてのことをご存じであるはず
  です。また、万物を無よりお造りになられたお方は、文字通り全能のお方です。
  ただし、全能であられても、神は御自身に矛盾することはなさいません。

「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハ1:3〜4)
「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」(創1:3)
「ああ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造ら
れました。あなたの御力の及ばない事は何一つありません」(エレ32:17)
「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(マコ10:27)

※聖書参照箇所
(創18:14) (詩139:1) (詩139:16)(民23:19) (コロ1:15〜16) (ヨブ42:2)(Uテモ2:13)
2013年6月9日 神さま こんな私が生かされていることを ありがとうございます
それなのに 愛するより 憎むこと多く 好きな人だけを選んで 他を無視し
都合のよい集まりだけに顔を出し なるべく なるべく ひとりでいたい
こんな私をお赦しください みんながバラバラであるよりも なるべく なるべく
一つになるでも それはとても難しいこと そうしてくださるのは あなた
イエスさまのもとに弟子がいてそこへ みんなで集まって来たように 聖霊の
恵みが満ちあふれたあなたの手は今も奇跡のように生きて実現します。
ああ ペンテコステ ありがとうございます 神さま
                                    (信徒の友より)
 2013年6月1日 日本キリスト教団信仰告白(77)

問108.「天」や「地」は、何を意味するのですか。

答. 造られたものの領域の中で、人間が知り尽くすことも、征服することもできない
  領域を、聖書は「天」と呼んでいます。
  そこは人間のとっては近づき得ない神秘の領域で、聖書によれば、神が完全に
  支配しておられる領域です。わたしたちは、「天」という存在領域を承認すること
  によって、人間の知識と能力との限界を知らされ、謙虚さと神への信頼を学ば
  され、また、御国を待ち望む希望を学ばされます。その反対に、「地」とは人間が
  認識し、正しく管理することが許され、かつ求められている領域のことです。わたし
  たちは自分がそこの住人であることを知って、自然や動植物、地球環境などに対
  する愛と慈しみを覚え、それらのものの良き管理人として、謙遜と勤勉の生涯を
  送るようにさせられます。

※聖書参照箇所(詩19:2) (詩50:6) (コヘ5:1)(イザ55:9) (マタ6:10)
  (創1:28)(創2:15)(創1:29) (ロマ8:20〜21)
2013年5月19日 日本キリスト教団信仰告白(76)

問107.神の「恵みの契約」の成就が創造の目的であるとするなら、人間が被造物の
    中で特別に重んじられている、と言うことができますね。

答. その通りです。ただし、人間が全被造物の支配者であるとか、全被造物は人間に
  奉仕するべきである、というような意味での人間中心主義は、間違いです。人間
  は初め、「地」に属するものとして造られ、「天」に属するものとしては、造られてい
  なかったのです。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された」(創1:27)

「そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう」(詩8:5)

※他聖書参照箇所 (Tコリ15:47、49)(詩8:6〜7) (イザ43:4)
2013年5月12日 日本キリスト教団信仰告白(75)

問106.「恵みの契約」とは何ですか。

答.神の恵みの選びが成就し、「神がわたしたちの神となり、わたしたちが神の
  民となる」ことです。

「わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちは
わたしの民となる」                            (レビ26:12)

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って
くださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」   (黙21:3〜4)
2013年4月28日 神さま、新緑の季節となりました。
黒々としていた近くの林の木々がいっせいに芽吹き、あたりが急に明るくなりました。
みずみずしい色の無数の若葉が神さまからいただいた命を輝かせています。
イエスさまは「空の鳥を見よ。野の花を見よ」と教えられました。鳥も、花も、木々の
若葉さえも神さまの恵みの豊かさをあらわしています。
神さま、私たちもあふれるようなあなたのご慈愛によって生かされています。
その愛を受けて私の顔が喜びに輝くといい。私の目がきらきらと光っているといい。
私の唇が常にほほえんでいるといい。私の耳があなたの御声を聞き取り、
私の口が御名を賛美するといい。神さま、こんな願いを聞いてください。
そうすれば、私はあの木々の若葉のように、命の源である神さまを証しする者となる
ことができるのです。                             (信徒の友より)
 2013年4月21日 「今、行きなさい。わたしはあなたを…遣わす」
 飢え渇くおおぜいの人々がいるので、わたしたちは勇んで出て行きました。人々に
呼びかけ、ビラを配り、家々を訪ね、人を見舞いました。問題を抱えた人々の中に
身をおき、労すれば労するほど、主よ、自らの持てるものの乏しさを思い知らされる
のです。
 このつたない能力や知識や信仰で、いったい何ができる?途方に暮れています。
疲れました。傷つきました。「持っているものまでも取り上げられ」た者のようです。
 主よ、今はあなたのみもとに帰ります。みもとに深く、安らがせてください。御言葉
の泉に、しばし憩わせてください。そしてもう一度、あなたに遣わされる者とさせてく
ださい。                                     (信徒の友より)
2013年4月14日 いつまでもいつまでも変わらない
             (水野源三 詩)

風吹けば 花は散り 草は枯れる
この世の はかない はかない様よ
いつまでも いつまでも 変わらない
神様の言葉を求めよ

時と共に 愛は冷え 友は去る
この世の 悲しい 悲しい様よ
いつまでも いつまでも 変わらない
神様の慈愛を求めよ

確かなものを 求めて 得られない
この世の むなしい むなしい様よ
いつまでも いつまでも 変わらない
神様の救いを求めよ
2013年4月7日 日本キリスト教団信仰告白(74)

問105.この被造世界は、どんな目的のために造られている、とあなたは信じる
    のですか。

答. この被造世界は、神が御自身の栄光を表すために造られました。それは、神が
  造られた被造物、特に、その中心である人間が、御子イエス・キリストの救いの
  ゆえに、罪あがなわれて神に立ち帰り、御子に似る者とされて、永遠において神
  を讃美するようになるためです。言い換えれば、天地創造の目的は、神と人間と
  の「恵みの契約」が成就することにあります。

「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない
者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子
にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子に
よって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです」
                                       (エフェ1:4〜6)

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た・・・・・更にわたしは、聖なる都、新しい
エルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、
天から下って来るのを見た」                         (黙21:1〜2)

「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ
定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです」
                                           (ロマ8:29)

「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、
まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということ
を知っています」                                 (Tヨハ3:2)

「御国が来ますように」(マタ6:10)
2013年3月31日  日本キリスト教団信仰告白(73)

問104.創世記の初めにある創造の記事は、現代科学が人類にもたらした様々な
    科学的真理とは矛盾しませんか。

答. 聖書の創造の記事は、科学ではなく、信仰の告白です。科学的知識は、宇宙が
  「どのようにして生まれたか」を説明する知識であって、それ無しにもわたしたちは
  生きることができます。それに対して、創造の記事が語る信仰の告白は、この世
  界が「何のためにあるのか」、わたしたち人間は「何のために生きているのか」を
  告げる啓示に基づくものであり、科学的知識とは全く次元の異なるものです。従
  って、両者がお互いに矛盾することはあり得ませんし、一方が他方の代役をにな
  うこともできません。聖書の創造の記事は、わたしたちが生きるために「無くて
  ならぬもの」であり、時代によって変わることのない永遠の真理です。

「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って
見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」
                                         (ヘブ11:3)

「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子
孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました」
                                         (ロマ4:18)

「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがな
お望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐し
て待ち望むのです」                           (ロマ8:24〜25)
2013年3月24日 日本キリスト教団信仰告白(72)

問102.最初の部分では、何を告白していますか。

答.「わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます」と告白しています。

問103.神が天地を造られたとは、何を意味しますか。

答.神が天地とその中にある全てのものを無からお造りになり、今も至高の叡知と
  愛をもって支配し、終わりの日に全被造物を完成へともたらせる、ということです。
  神は全被造物の源なる御方であるゆえに、「父」なる神と呼ばれます。

「初めに、神は天地を創造された」(創1:1)
「御言葉によって天は造られ/主の口息吹によって天の万象は造られた」(詩33:6)

※他、聖書参照箇所 (ロマ4:17) (エフェ3:14〜15)
  2013年3月17日 日本キリスト教団信仰告白(71)

第六部 使徒信条

問99.「わたちたちはこのように信じ、代々の聖徒とともに、使徒信条を告白します」
   の部分は、どのように理解したらよいですか。

答. 日本基督教団は、使徒信条を告白することによって、二千年の公同教会の交わり
  に加えられ、「見えない公同教会」として存在すると共に、また、「見える公同教会」
  としても存在する、ということです。

問100.「使徒信条」とはどのようなものですか。

答.紀元二世紀頃から次第に整えられてきた教会最古の公同な信条、つまり聖書に
  おいて示された神の啓示に基づき、ほとんど全ての教会が信じ、告白している最も
  基本的な事柄を要約的に示した信条です。
  それは、キリスト教信仰の最も奥深くにあるものが何であるかを示すと同時に、
  聖書の簡潔にして適切な要約でもありますので、その一つ一つの言葉を深く味わ
  いながら学ぶことは、キリスト者にとって欠かせません

問101.それはいくつの部分に分けられますか。

答.三つの部分です。最初に父なる神と創造の御業について。次に、御子イエス・
  キリストとその救いの御業について。最後に聖霊なる神への告白と聖霊なる
  神の救いの御業についてです。
 2013年3月10日 日本キリスト教団信仰告白(70)

問98教会は政治の問題をどのように考えたらよいのでしょうか。

答. 教会は神の国の福音を宣べ伝えるところであり、神の国は基本的に言って、
  人間が自分の力や業で実現できる「地の国」(政治)の次元とは異なる次元に
  属します。その意味では、教会全体で、ある特定の政治的立場に立つことは、
  ほとんどの場合、謹むべきことです。それでも、「御国を来たらせ給え」と祈る
  教会が、日々執り成しの祈りをささげ、隣人を愛し、「地の塩、世の光」である
  ことは大事です。福音はそ意味での良い、そして万人が共有しうる理念、例えば、
  人権、民主主義、世界平和、平和国家、福祉国家、等々の理念をわれわれに
  提供してくれます。

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マタ22:21)

「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい
者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」     (マタ25:40)
2013年2月24日 受難節(レント)について 

1.都の外の 遠い道  カルバリ丘に イエス様は
  十字架を背負い 行かれます  イエス様ほんとうに重いでしょう

2.十字架の上の お苦しみ  わたくしたちの 罪と咎
  その御肩に かかっている  イエス様ほんとうにすみません

3.十字架の上で イエス様は  みんなのために 祈られた
  イエス様 どうぞ罪深い  私を赦してくださいな

 これは子ども賛美です。非常に単刀直入な言葉で心せまるものがあります。
今年は2/13(水)〜3/30(土)まで主イエスの受難節で、3/31(日)が復活日となります。
罪の滅びから私たちを救い出すために、神の子が人間の姿をとり、身代わりとなっ
て、受難と死を全うして下さいました。そして三日目に死から甦られ、神の栄光に入
られました。ここに正にイエスは神の子キリスト(救世主)であり、この事を信じる全
ての者の罪を赦し、神の子としての求道の生命を約束されたのです。その主イエスの
お苦しみと死が、私の罪のためである事を深く覚え、復活された命につながる者とさ
れた事を心から感謝し、一日一日を大切に過ごさせていただきたい。
 2013年2月10日 日本キリスト教団信仰告白(69)

問97.「世に対する愛と奉仕の務め」とは、どのようなことですか。

答. これもまた、終末待望の中で、福音に押し出された証しとしてなされることが基本
  です。またそれは、愛のわざですので、基本的に言って、支配するわざではなく、
  奉仕するわざです。その種のものとして、福祉や貧困との取り組み、医療、教育、
  社会の清潔、平等、世界平和などが伝統的に教会やキリスト者が携わってきた
  業として挙げられます。そのための特別の賜物を持ったキリスト者が、自分の使命
  としてそれらを果たすことが、最もふさわしいことでしょう。教会はそのようなキリスト
  者を送り出し、支えられるような教会でありたいものです。

「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるよう
になるためである」                               (マタ5:16)

「あなたがたは地の塩である。・・・・・・・・あなたがたは世の光である」(マタ5:13〜14)

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタ5:9)
2013年2月3日 日本キリスト教団信仰告白(68)

問96.教会が「慰めの共同体となる」とは、どのようなことですか。

答. 教会の交わりは、常に主イエス・キリストにある交わり、すなわち、主を仲立ちとする
  交わりです。その基礎は、共に礼拝を守り、共に聖餐に与ることの中にあります。
  従って、そこでは仕え合い、赦し合い、祈り合い、慰め合い、励まし合いや助け合い
  がなされると同時に、戒め合いもなされなければなりません。そのようにして、主が
  教えてくださったような兄弟愛が行われるときに、教会はすべての者の慰めの共同
  体となります。

「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、
皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」
                                        (マコ10:43〜44)
「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタ22:39)

※他、聖書参照箇所   (Tコリ13:4〜7)(詩133:1) (Tテサ5:14) (Tヨハ4:20)
2013年1月27日 日本キリスト教団信仰告白(67)

問95.「愛のわざにはげみ」は何を意味しますか。

答.教会が主から教えられた愛のわざに生きることです。それは先ず、教会の中で
  互いに愛し合い、励まし合い、仕え合い、祈り合い、戒め合うという兄弟愛が行わ
  れ、教会が慰めの共同体となることです。第二に、教会同士の間でも、このような
  ことが行われことです。第三に、教会は世に対しても、愛と奉仕の務めを与えら
  れています。

「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する
者は、律法を全うしているのです」                         (ロマ13:8)
「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」
                                             (ロマ12:10)
※他、聖書参照箇所   (マタイ25:40)
2013年1月20日 日本キリスト教団信仰告白(66)

問93.洗礼を受けた者が、聖餐に与るのですか。

答.その通りです。主は聖餐を通して、それに与る者が単に御自身の御からだなる
  教会の肢の一つであるだけでなく、主御自身と霊的に一つであることを確信する
  ことを欲しておられるのですから、十字架と復活の救いを信じ、洗礼を受けた者
  だけが聖餐に与ることができるのです。

問94.もし、洗礼を受けていない者が聖餐に与ったら、どのような弊害が起こりますか。

答.単にその聖餐がその人に対して効力を持たないだけではありません。その人自身
  に洗礼をなおざりにする考えが根付いてしまいます。また、教会がそれを知って
  いて、なおされている場合には、教会自身が洗礼の恵みを放棄したことを意味し
  ています。従って、そこでは聖礼典の恵みそのものが危機に瀕していることにな
  ります。
2013年1月13日 日本キリスト教団信仰告白(65)

問92.では、聖餐とは何ですか。

答. 聖餐とは、主の十字架上で裂かれた御体を意味するパンを食し、そこで流された
  御血を意味する杯から飲むことによって、わたしがまことに主のものとされ、その
  御からだなる教会の肢の一つとされていることを知らせるための恵みの手段です。
  すなわち、主の御臨在のもとにわたしが招き寄せられて、主御自身と霊的に一体
  であることを確信させ、わたしにおいても十字架の血による新しい契約が力を持
  っていることを確認させるのです。わたしはそれを主の贖いを信ずる信仰によっ
  て受け取ることによって、主と共に生き、終わりの日には永遠の命に与ることが
  許されると確信できるようになるのです。

「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」(ルカ22:19)
「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の
血である」(マタイ26:28)
「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるとき
まで、主の死を告げ知らせるのです」(Tコリ11:26)
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしも
またいつもその人の内にいる」(ヨハ6:56)

※他、聖書参照箇所 
(コロ3:3) (エフェ2:6) (エフェ5:30)(Tコリ6:17) (Tヨハ4:13) (黙3:20)
2013年1月6日  新年おめでとうございます。神の祝福が豊かにありますよう、心から祈ります。
 この一年、私たちは教会標語を前にして、何に望みを置き、何によって鷲のように
なる事ができるのでしょうか・・・
 それは言うまでもなく、「神の言」に信頼する、これ以外にありません。神の御前に
静まって、神との生きた交わりを深める事です、それはディボーションを日々大切に
してゆくことによるのです。わかっているけどなかなか続かないというのも現実です。
 今年こそはと、心に示された時がチャンスです。5分でも10分でも神の前に静まって
神を求めましょう。
 「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられて
いる。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」
                                             (ミカ6:8)
 御言に信頼し、神と共に歩む時、「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」霊の力
が湧き上ってくるのです。日々、神の御前に静まる一年であるように、互いに祈りつつ
励ましあって進みましょう。

今年の「命の言葉」を読む
2014年「命の言葉」
 2012年「命の言葉」


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